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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)7821号 判決

原告 岸義昭

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 岩本公雄

同 塚本重雄

被告 小川直

右訴訟代理人弁護士 高田利広

同 小海正勝

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告らに対し、各九九五万八四五〇円およびこれに対する昭和五五年六月二五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟の費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  (当事者)

原告らは、亡岸信一郎(以下「信一郎」という。)の父母であり、信一郎は、昭和四九年二月二〇日生まれで、昭和五五六月二四日午後一時三〇分ごろ、死亡した。

被告は、昭和二三年ごろから、小児科を標榜科目とする診療所を開業している医師である。

2  (被告の診療と信一郎の死亡の経過)

(一) 昭和五五年六月二二日午後四時ごろ、原告岸綾子(以下同原告のみを指すときには単に「原告」という。)が外出先から帰宅したところ、信一郎は昼寝をしていたが、起きてきてアイスクリームを食べ始めるとすぐに吐いてしまい、「寒いよ。」と訴えた。

そこで、原告は、すぐに信一郎を寝かせた。

信一郎は、夕食時になっても起きず、同日の夜中に二、三回吐き、「お腹が痛い。」と訴えた。

(二) 翌二三日午前九時すぎ、信一郎は、原告に伴われて、被告の診療所(小川医院)に赴き、被告の診察を受けたが、その際も吐いた。

(三) 被告は、「これは盲腸が悪いのだ。」と原告に言って、そのための治療として注射一本と点滴注射二本を行った。

(四) 原告は、被告の診療所を退出する際、看護婦から、「患者は眠るけれど、三時間ぐらい経ったら目が覚めるから、喉が乾いたら湯ざましをあげてください。腹が減ったと言ったら重湯をあげてください。」と言われ、粉薬三袋を、食後に服用させるようにと言って渡された。

(五) 原告は、信一郎を連れて、同日午前一一時ごろ帰宅したが、同人は、帰宅後、四時間以上経っても目を覚まさなかった。そこで、同日午後八時三〇分ごろ、原告は、被告の診療所に電話をして右状態について問い合わせたところ、看護婦が電話に出て、「薬が効いていると思うので、そのまま寝かせておいて下さい。」と言った。

(六) 同日午後九時ごろ、被告の看護婦から電話があり、信一郎の様子を尋ねられたので、原告は、「寝返りを打つだけで、目を覚まさない。」と答えたところ、その看護婦は、「泣いたり、痛がったりしたら、墨東病院に行って下さい。そこならいつでも手術ができます。」と言った。

(七) しかし、翌二四日朝になっても、信一郎は、目を覚まさず、声をかけるとやっと目を開ける状態だった。

(八) そこで、原告は、午前九時ごろ、信一郎を起こして、被告の診療所へ連れていった。

(九) その時、既に、信一郎は両手がだらりと下がったままで、足は立たず、食欲もなく、薬を飲ませても吐いてしまう状態だった。

(一〇) 被告は、信一郎の診察をしたが、その際、腹を押さえても反応はなく、泣きもしなかった。信一郎は、診察を受けるのに、自力ではベッドに横たわることもできなかった。

被告は、信一郎を聴診したほか、口の中を調べた。

(一一) 被告は、その際、「盲腸は治ったね。大丈夫だ。」と言った。

(一二) 原告は、心配であったので、信一郎の病状等について、食事を二三日夜から摂っていないこと、ものを言わなくなったこと、目が覚めず、声をかけると目を開けるだけでまた眠ること、顔色は青白く、熱はないことなどを被告に説明したが、被告は、信一郎にブドウ糖注射を一本しただけであった。

(一三) 原告は、同日午前一一時ごろ、信一郎を背負って帰宅し、ベッドに寝かせたが、この時も、同人は、はっきりとは目が覚めておらず、名前を呼ぶと少し目を開けるだけであった。

間もなく、信一郎は、足で蹴るような動作や、手でふとんを押しのける動作をし、寝返りを打つだけになり、呼吸が荒くなり、動悸が激しくなった。

そこで、原告は、同日午後一時ごろ、救急車を呼んだが、間にあわず、信一郎は午後一時三〇分ごろ、死亡した。

3  (死因)

信一郎は、ウィルス性髄膜脳炎等に罹患しており、それらによる呼吸困難により死亡したものである。

4  (被告の過失)

(一) 被告は、昭和五五年六月二三日、信一郎を診察した際、同人がウィルス性髄膜脳炎、気管支炎および不顕性気管支ぜんそくに罹患していたにもかかわらず、これを虫垂炎および気管支炎と診断し、主として虫垂炎に対する治療のみを行って、前記の諸疾患に対する治療を怠った過失がある。

被告の右過失により、信一郎は、同月二四日、髄膜脳炎等による呼吸困難により死亡するに至った。

(二) 仮に(一)の過失が認められないとしても、被告は、同月二四日、信一郎を診察した際、原告から慎重に信一郎の症状を聞くなどしていれば、同人の意識レベルの低下に気がついたはずであり、そのような意識レベルの低下に気がついたときは、同人の頸部強直の有無を診るべきであり、その結果、頸部強直を認めたときは、髄液採取を行うか、または、同人を入院できる施設に送院すべき注意義務があったのに、これを怠った過失がある。

被告の右過失により、信一郎は、前記のとおりの経過で、同日、死亡するに至った。

5  (損害)

(一) 信一郎の逸失利益 一一六一万六九〇〇円

信一郎は、死亡当時六歳の健康な男子であって、一八歳から六七歳に達するまで労働可能であり、その稼働期間中、少なくとも一八歳の労働者の平均賃金を下回らない収入を得ることが可能であった。

したがって、信一郎が死亡したことによって失った利益は、一八歳の労働の平均賃金を月額一〇万五三〇〇円とし、これから生活費として五割を控除し、さらに、新ホフマン方式によって年五分の割合による中間利息を控除すると、次式により、一一六一万六九〇〇円となる(ただし、百円未満切捨)。

105,300円/月×(1-0.5)×12月×18,387(新ホフマン係数)=11,616,907円≒11,616,900円

(二) 信一郎の慰謝料 六〇〇万円

(三) 葬儀費用等 五〇万円

(四) 弁護士費用 一八〇万円

原告らは、原告ら訴訟代理人らに対し、被告に対する本件の損害賠償請求を委任し、昭和五六年三月、原告ら訴訟代理人らは、申立人である原告らを代理して、葛飾簡易裁判所に対し、被告を相手方とする本件損害賠償請求の調停を申し立てた(同庁昭和五六年(ノ)第一四号)が、昭和五七年六月一八日、これが不調となったため、さらに原告らの代理人として本訴を提起したものであり、右調停および本訴の提起・追行を含めた弁護士費用として、被告の不法行為と相当因果関係のある損害は、一八〇万円が相当である。

(五) 原告らの相続

原告らは、それぞれ二分の一の割合で信一郎の権利義務を相続した。

したがって、原告らは、それぞれ、被告に対し、(一)ないし(四)の損害額合計一九九一万六九〇〇円の二分の一である九九五万八四五〇円の損害賠償請求権を、いずれも相続により取得した。

6  よって、原告らは、被告に対し、不法行為による損害賠償請求権に基づいて、各九九五万八四五〇円およびこれに対する不法行為(信一郎の死亡)の日の翌日である昭和五五年六月二五日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実のうち、原告らが、信一郎の父母であることは知らないが、その余の事実は認める。

2(一)  同2(一)の事実は知らない。

(二) 同2(二)の事実は認める。

(三) 同2(三)の事実のうち、被告が「これは盲腸が悪いのだ。」と原告に言って、そのための治療を行ったことは認めるが、その余の事実は否認する。

被告が行った治療は、皮内反応一回、静脈注射一回、点滴注射一回である。なお、その際、検査のための採血を一回行った。

(四) 同2(四)の事実は認める。

(五) 同2(五)の事実のうち、信一郎が、午前一一時ごろ帰宅したことは認めるが、その後四時間以上経っても目を覚まさなかったことは知らない。午後八時三〇分ごろに、原告から、電話があったことは否認する。

(六) 同2(六)の事実は認める。

(七) 同2(七)の事実は知らない。

(八) 同2(八)の事実は認める。

(九) 同2(九)の事実のうち、食欲がなかったとの点は知らず、その余の事実は、否認する。

(一〇) 同2(一〇)の事実のうち、信一郎が、診察を受けるのに自力でベッドに横たわることができかったことは否認するが、その余の事実は認める。

(一一) 同2(一一)の事実は否認する。被告は、「盲腸の痛みはとれたね。よくなっている。」と言ったのである。

(一二) 同2(一二)の事実は否認する。原告の説明は、きのう注射をしてからは、吐かなくなった、吐き気がとれて熱が下がった、腹痛を訴えなくなった、という趣旨であった。

(一三) 同2(一三)の事実のうち、信一郎が午後一時三〇分ごろ死亡したことは認め、その余の事実は知らない。

3  同3の事実は否認する。信一郎は、帰宅後、炎症に基づいたぜんそくの発作を起こして、分泌物による窒息性の突然死をきたしたものである。

4  同4の事実のうち、信一郎が同月二三日に、気管支炎および不顕性気管支ぜんそくに罹患していたことは認めるが、ウィルス性髄膜脳炎に罹患していたことは否認する。被告が点滴注射をすると、翌日には、嘔吐がとまったし、頸部等の強直も認められず、熱も下がって一般状態もよくなったのであり、髄膜脳炎の症状が、ただ一回だけの点滴注射によって改善されるはずがないので、信一郎には、髄膜脳炎の疾患はなかった。

被告の過失については争う。

5  同5の事実のうち、原告ら主張の調停事件が係属し、これが不調となったため、本訴が提起されたことは認めるが、その余の事実は知らない。

損害については争う。

三  被告の主張

1  (被告の診療経過について)

(一) 昭和五五年六月二三日

(1) 被告は、右同日、信一郎を初めて診察したが、自覚的所見は、嘔吐(+)、腹痛(+)、および発熱(+)であり、他覚的所見は、ランツ氏点の圧痛(+)、デファン(+)、およびラッセル音(+)であった。

なお、血液学検査の結果は、白血球数一〇、七〇〇であった。

(2) 被告は、右所見により、急性虫垂炎(なお、死体検案書に虫垂の異状が記載されていないのは、被告がセファメジンを三回一・五gの注射をしたことにより、その炎症が完治していたからである。)および気管支炎と診断(なお、気管支ぜんそくを思わせるほどの異常所見はなかった。)し、起炎菌を確定できなかったが、抗生剤セファメジンを使用することにした。被告がセファメジンを使用することにした理由は、次のとおりである。

① 虫垂炎の起炎菌は、グラム陰性菌が多い。

② セファメジンは、グラム陰性菌に有効である。

③ セファメジンは、気管支炎にも有効である。

信一郎は、二〇時間以内に熱が下がったから、起炎菌は、セファメジンに感受性があったものである。

(3) 被告は、セファメジンの注射に先立って、皮内反応を試み、一五分後に陰性を確認した。

さらに万全を期して注射を二回に分注することとし、まず、セファメジン〇・五gを一〇mlの蒸溜水に溶解して、ゆっくりと静脈注射し、異常所見のないことを確認してから、脱水症状も認めたので、一〇mlの蒸溜水に溶解したセファメジンの〇・五gを、ソリタT1五〇〇mlに添加して、点滴注射をした(その結果、熱が下がり、吐き気がなおった。)。

(4) 注射を終えて、異常所見のないことを確認してから、帰宅させたが、被告は、帰宅に先立って、原告に、「点滴注射により、間もなく吐き気はなおります。吐き気がなおったら、白湯三〇mlを与えなさい。一時間後に、倍に薄めた牛乳五〇mlを与えなさい。その後は、四時間ごとにかゆなどを与えなさい。」と指示した。

(5) なお、被告は、同日午後九時に、信一郎の自宅に電話をし、「少しでも異状を認めたならば、すぐに墨東病院に転医しなさい。」と指示した。

(二) 同月二四日

(1) この日の診察時の信一郎の症状は、次のとおりである。

① 熱が下がった。

② 吐き気がなおった(原告の言葉による。)。

③ 腹部の自発痛と圧痛がなくなった。

ちなみに、白血球数が一〇、七〇〇であったことは、カタル性の炎症を示すものである。

(2) (1)のとおり、一般状態が前日よりよくなった。吐き気がなおれば、点滴注射の必要はないので、セファメジン〇・五gを蒸溜水一〇mlに溶解し、それに、二〇%のブドウ糖溶液四〇mlを混合して、静脈注射をした。

(3) 被告は、原告に対し、「前日指示したとおりに食べ物を与えてくだされば、必ずよくなります。」と言った。

2  (被告の診療行為に過失がないことについて)

信一郎の死因は、炎症に基づく不顕性気管支ぜんそくであり、このような疾患の場合、打診・聴診によっても、発症を事前に予知することは不可能である。

したがって、被告にとって、信一郎が、ぜんそくの発作を起こし、これによって死亡することを予見することは、不可能であった。

よって、被告の診療行為には過失がない。

また、仮に、信一郎の死因が、原告らの主張するように、髄膜脳炎等による呼吸困難であったとしても、ウィルス性の髄膜脳炎(あるいは髄膜炎)に対する治療は、ヘルペス脳炎などの場合を除くと、脳圧亢進を下げて脳浮腫を軽減するとか、脱水に対する治療、合併症の予防・治療などの主として対症的なものしかないのが現状であって、本来の病気の重症度が、予後を左右する最大の因子となっている。

したがって、仮に、信一郎が髄膜脳炎で死亡した場合であったとしても、その結果を回避する可能性はなかった。

よって、この場合にも、信一郎の髄膜脳炎を診断できず、これに対する治療をしなかった被告の診療行為には、過失がない。

四  被告の主張に対する原告らの認否

1  (被告の主張1に対して)

(一) 被告の主張1(一)について

(1) 同1(一)(1)の事実のうち、六月二三日に、被告が、信一郎を初めて診察したこと、初診時の自覚的所見が、嘔吐(+)、腹痛(+)、発熱(+)であったことは認めるが、その余の事実は知らない。

(2) 同1(一)(2)の事実のうち、被告が、急性虫垂炎および気管支炎と診断したことは認めるが、その余の事実は知らない。

(3) 同1(一)(3)の事実のうち、被告が点滴注射をしたことは認めるが、その余の事実は知らない。

(4) 同1(一)(4)の事実は否認する。

(5) 同1(一)(5)の事実は否認する。電話があったのは、看護婦からであった。

(二) 同1(二)について

(2) 同1(二)(1)の事実は否認する。

(2) 同1(二)(2)の事実のうち、被告がブドウ糖注射をしたことは認めるが、その余の事実は知らない。

(3) 同1(二)(3)の事実は否認する。

2  同2は争う。

第三証拠《省略》

理由

一  (当事者について)

《証拠省略》によれば、原告らは、信一郎の父母であることが認められ、信一郎は、昭和四九年二月二〇日生まれで、同五五年六月二四日午後一時三〇分ごろ死亡したこと、被告は、小川医院の名称で、小児科を標榜する診療所を開業している医師であることは、いずれも当事者間に争いがない。

二  (信一郎の発症から死亡に至る経過と被告の診療内容について)

1  次の事実は当事者間に争いがない。

(一)  信一郎は、昭和五五年六月二三日午前九時すぎ、原告に伴われて被告の診療所に赴き、初診患者として、被告の診察を受けたが、その際の自覚的所見は、嘔吐(+)、腹痛(+)、発熱(+)であり、被告は、信一郎の症状を急性虫垂炎及び気管支炎と診断した。

(二)  被告は、「これは盲腸が悪いのだ。」と原告に言って、そのための治療として点滴注射等を行った。

(三)  原告は、被告の診療所を退出する際、看護婦から、「患者は眠るけれど、三時間ぐらい経ったら目が覚めるから、喉が渇いたら湯ざましをあげてください。腹が減ったと言ったら重湯をあげて下さい。」と言われ、粉薬を三袋、食後に服用させるようにと言って渡された。

(四)  原告は、同日午後九時ごろ、被告の看護婦から電話があり、信一郎の様子を尋ねられたので、「寝返りを打つだけで、目を覚まさない。」と答えたところ、その看護婦は、「泣いたり、痛がったりしたら、墨東病院に行ってください。そこならいつでも手術ができます。」と言った。

(五)  信一郎は、同月二四日午前九時ごろ、原告に連れられ、被告の診察を受けたが、腹を押さえても反応はなく、泣きもしなかった。その際、被告は、信一郎を聴診したほか、口の中を調べた。

(六)  信一郎は、同日午後一時三〇分ごろ死亡した。

2  《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。

信一郎は、当時、小学校一年生の男子であったが、昭和五五年六月一九日ごろから、ときどき「とろん」として元気がない状態となり、鼻風邪をひいたような状態でもあったので、翌二〇日は、学校を欠席して自宅で寝ていた。原告は、信一郎に市販の風邪薬を服用させた。翌二一日(土曜日)、信一郎は、まだ鼻水を出してはいたものの比較的元気に登校し、下校途中に友達と遊んで同日午後五時過ぎごろ帰宅したが、その際、原告は、特に信一郎に異状を認めなかった。翌二二日(日曜日)の朝、信一郎は、比較的元気で、朝食も摂り、昼ごろは、外に出て遊んでいたが、昼すぎごろには帰宅して、昼寝をしていた。同日午後四時三〇分ごろ、暫く外出していた原告が帰宅した時には、信一郎は、起きていたので、同人にアイスクリームを食べさせた。信一郎は、二口か三口ほど食べたところで、「寒いよ。」と訴えて、それを半分ぐらい残して食べるのをやめ、その後、間もなく、「気持が悪い。」と言って、嘔吐した。原告は、自分の手と額とを信一郎の額に当てて信一郎の体温を調べたが、その時には、さほど発熱しているとは感じなかった。原告は、ただちに信一郎を寝かせ、七時ごろの夕食時に一度起こして食事を摂らせようとしたが、同人は、食欲がないと言って、それも一口か二口食べただけで残してしまった。そこで、原告は、再び信一郎を寝かせた。信一郎は、午後一〇時すぎごろ、黄色の胃液様の物を再び嘔吐し、それからさらに時を置いて嘔吐を繰り返し、結局、同日の夜の間に合計三回ぐらいの嘔吐をした。なお、その際には、せきをゴホンとするようにしてから嘔吐していた。そして、その間、原告に対し、信一郎は、「お腹が痛い。」と訴えていた。

翌二三日午前八時三〇分ごろ、信一郎は、だるそうにしており、食欲もなく、何も要求しなかったので、原告は、信一郎に食事を摂らせないまま、午前九時ごろ、同人を背負って小川医院へ連れていった。信一郎はその間、痛がったり、騒いだりすることもなく、おとなしかった。そして、同医院の待合室で診察を待つ間に、一回、せき込むようにして黄色様の物を嘔吐した。

3  《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。

信一郎は、二三日午前一〇時ごろから、被告の診察を受けたが、原告は、これに付き添い、被告の問診に対しては、信一郎には特別重症な既応歴はないが、前日夕方ごろまで戸外で遊んでいたところ、同日夕方に初めて嘔吐し、その後、数回嘔吐し、かつ、腹痛を訴えたことを説明した。被告は、信一郎の胸腹部を聴診し、心拍は、速いが規則的であり、両肺野にラッセル音があることを認めた。信一郎の体温は、摂氏三八・四度であった。また、被告が、信一郎を診察台に仰向けに寝かせ、その腹部を手で押さえて圧痛の有無を調べたところ、同人は、右下腹部のランツ氏点付近を押さえると、「痛い、お母さん。」などと言って、強い圧痛を訴えたが、他の部分では全く圧痛を訴えなかったので、被告は、信一郎には、右下腹部のランツ氏点付近に限局した圧痛(デファン)があるものと認め、原告には、「これは盲腸ですね。」と説明した。すると、原告は、外科的手術ではなく、薬で散らして欲しい旨を被告に言った。なお、被告は、その際、原告に対し、風邪もひいているようですねと告げた。

被告は、血液学検査を行うため、信一郎から採血した。

しかし、その他、神経系あるいは循環器系には異状を認めなかった。

4  《証拠省略》によれば、被告は、右診察の結果(血液学検査の結果はまだ判明していなかった。)により、右腹部の圧痛は虫垂炎によるものであり、右胸部のラッセル音は、気管支炎によるものであると判断し、さらに、軽度の脱水症も認めたことが認められる。

そして、《証拠省略》によれば、被告は、虫垂炎に対しては、セファレキシン系統のセファメジン〇・五gを静脈注射により投与したこと、嘔吐及び軽度の脱水症に対しては、ソリタT1にセファメジン〇・五gを混合して点滴注射を行ったこと、右点滴に四〇分位を要し、午前一一時すぎごろ、右治療を終了した後、被告は原告に対し、吐き気がとまった段階で、数時間したら湯ざましを少量(約三〇mlから段階的に増やす方法で)を飲用させるよう指示したことさらに、マドレキシンのドライシロップ(散薬)一〇gを一日分として処方し、交付したことが認められる。

5  《証拠省略》によれば、被告は、初診時における信一郎の状態について、全く元気のないようにみえ、六歳児が母親に背負われて来たことなどで、異様な感じすら覚えたことが認められる。

6  《証拠省略》によれば、二三日の診療後、小川医院から帰宅する際にも、信一郎は、うとうととしたような感じで、自力で歩く元気がなく、手もだらりと下ろしたままでいるなど、手足に力のない状態であったこと、帰宅して、信一郎を寝かせると、同人は、眠ったまま目を覚まさず、水も食事も摂らなかったこと、午後五時ごろ、原告が信一郎に前記散薬を飲ませたが、同人は、すぐにその薬を吐いたこと、そして、信一郎は、午後八時ごろになっても目を覚まさなかったので、原告は、不安になり、小川医院に電話をし、看護婦に対し、信一郎が、診療を受けて帰宅してから眠ったままで目を覚まさないが、どうしてかと尋ねたところ、その看護婦は、「薬のせいで眠っていると思うので、そのまま寝かせておいてください。」と答えたことが認められる《証拠判断省略》。

7  《証拠省略》によれば、被告は、看護婦に指示して、同日午後九時ごろ、原告方に電話をし、原告に対し、信一郎の虫垂炎の容態が急変した場合には、救急指定病院である墨東病院で手術もできるので、そこで診療を受けるようにとの指示をしたことが認められる。

8  《証拠省略》によれば、信一郎は、翌二四日の朝まで眠りつづけ、原告が呼びかけても、目を開けるだけで原告の方をみることもなく、またすぐに眠るような状態であったこと、原告は、信一郎に水も食事を摂らせないまま、午前九時すぎごろ、再び同人を背負って小川医院へ連れていったが、その時の信一郎は、全身に力のない状態であり、自力で立つこともできなかったので、人の手を借りて背負わなければならなかったこと、信一郎は、同医院で、しばらく順番を待った後、原告に付き添われて被告の診察を受けたこと、その際、原告は、被告の問診に対し、信一郎が前日の診察以後、食事も摂取らずに眠りつづけており、呼びかけられると、呼ばれたことはわかって目を開けるが、返事もせずにまた眠り込む状態で、話す元気もない旨答えたところ、被告は、前日投与した薬の副作用であろうと説明したこと、さらに、原告は、信一郎は、前日夕方服用させた薬も吐いたが、それ以外に嘔吐の症状は、前日の点滴後現われていないと説明したことが認められる。

9  《証拠省略》によれば、被告は、信一郎を診察したが体温は、前日より〇・八度低い三七・六度であり、胸腹部の聴診の結果は、前日と同様で、心拍は規則的であり、胸部両側肺野にラッセル音を認めたこと、さらに、被告は、前日と同様にして信一郎の腹部の圧痛の有無を調べたところ、同人は、全く圧痛を訴えず、手も動かさなかったこと、原告が「もうなおったのかしら。」と聞くと、被告は、虫垂炎は全治したと判断し、「よう効いてるんですね。ようなったんやね。」と言ったこと、また、看護婦が信一郎に呼びかけても同人は返事をしなかったこと、しかし、被告は、特に、信一郎の全身状態が前日より悪化しているとは認めなかったので、圧痛がなくなり、腹痛・嘔吐の症状もみられなくなったのは、急性虫垂炎が治癒した結果であると診断して、その旨原告にも説明したこと、そして、被告は、信一郎に栄養補給をするため、二〇%のブドウ糖溶液四〇mlを投与することとし、これに前日と同じ抗生剤であるセファメジンの注射液(セファメジン〇・五gを一〇mlの蒸溜水に溶解したもの)を混合して、静脈注射したこと、右診療を終えて信一郎を帰宅させるに際し、前日と同じ抗生剤であるマドレキシンのドライシロップ一〇gと気管支炎によるせきと吐き気を押さえるための鎮咳剤であるコデイン散〇・二g(リン酸コデイン〇・〇二g含有)とをあわせて一日分として服用するように言って交付し、さらに、原告に対し、明日も信一郎を来診させるように指示したこと、原告は、看護婦に手伝ってもらって信一郎を背負い、午前一一時すぎごろ帰宅したことが認められる。

10  《証拠省略》によれば、原告は、帰宅するとすぐに、信一郎を寝かせたが、その時も同人は、相変わらず、呼びかけても目を開けるだけで、返事もせず、再び眠る状態であったものの、症状は、少し落ちついたようにみえたこと、二四日午後一時すぎごろになって、原告が、再び信一郎の様子をみたところ、信一郎は、非常に呼吸が荒くなって、呼吸をするたびにぜいぜいとあえぐような音をたてており、さらには、足を突然伸ばして蹴るような動作や、手を伸ばしてかけぶとんをはねのけるような動作(けいれん発作の症状と推認される。)をするようになっていたこと、そして、このような激しい症状が数分間も続いたため、原告は、被告方に電話をし、その旨看護婦に説明して、指示を仰いだが、近くの病院にでも行ってくださいと言われたため、救急車の出動を要請することにしたこと、その約一〇分後に救急車が到着する直前(同日午後一時三〇分ごろ)、自宅において、信一郎は、突然呼吸を停止して死亡したことが認められる。

すでに言及したもののほかには、以上の2ないし10の認定に反する証拠はない。

三  (信一郎の死因について)

1  鑑定人山口正司の鑑定結果によれば、信一郎の疾病および死因に関する同鑑定人の意見の要旨は、以下のとおりである。すなわち、一般にぜんそく死の死因は、長期に副腎皮質ホルモンを使用して副腎皮質の萎縮をきたしストレスへの耐性が減少していること、あるいはぜんそく発作への薬物の副作用、過敏症、薬剤量の不適当なことによることが多く、これらの場合は、発病から死亡まである程度の期間を要するものであり、また、急死の場合は、心臓に異状があり、または過重な負担がかかったこと、重篤な合併症のあったこと等によるものであるところ、前記認定の治療経過によれば、信一郎には、そのうち、窒息死、肺性心ないし心不全あるいは合併症が一応考えられるが、窒息死であるとすれば、気管支腔の狭窄と粘液栓が原因として考えられるけれども、解剖所見にも、右についての記載がない(なお、《証拠省略》によれば、信一郎の解剖所見は、気管支内の粘液、気管支上皮の剥離、気管支基底膜の肥厚、気管支周囲の細胞浸潤、好酸球の出現、肺胞内の水腫、出血、代償性気腫、うっ血等がみられるのみであったことが認められる。)こと、また、心臓に死に至るような過度の負担がかかったこと、もしくは心臓の異状があったことを窺わせる解剖所見がないことからすると、同人の死が窒息死または心不全等によるぜんそく死であるとは推定できない。他方前記認定のような信一郎の症状、特に、六月二〇日ころには、夏風邪にかかっていたと認められること、同月二三日には、体温三八・四度(発熱があったこと)、嘔吐が数回あり、腹痛、胸部ラッセル音があり、腹部圧痛もあったこと、また、自力で歩行できない程の強い脱力、呼ばれても返事もしないことから意識レベルの低下があったと考えられること、しかも、傾眠、嗜眠傾向もあり、解剖所見に脳浮腫があったこと、気管支炎と腹痛は、夏風邪ウィルスによる一つの疾患の症状と考えても説明がつくこと(夏風邪で小児の腹痛が強く虫垂炎と誤診され開腹された例もある。)、そして、夏風邪ウィルスには多数の種類があり、いずれも、無菌性髄膜炎や脳炎などの中枢性疾患をきたすことがあるので、信一郎が夏風邪ウィルスに感染して、これらの中枢性疾患をひきおこしたとすれば、鼻水、発熱、嘔吐、腹痛、脱力、意識レベルの低下、傾眠、嗜眠傾向などの症状を経て、けいれんを起こして死亡した経過も、急速に進行した場合はあり得るものであること、初診時の血液学検査の結果により《証拠省略》によれば、白血球一〇、七〇〇、杆状球六、分葉球八三、リンパ球九、単球二、好酸球〇、好塩基球〇であることが認められる。)、リンパ球が少なく、好中球が多いことが認められるが、初期の血球所見のためと考えられること、以上によれば、信一郎は、被告の診察時、ウィルス性髄膜炎(しかも、脳炎を伴っていたと推定される。)、気管支炎、不顕性気管支ぜんそく(ぜんそく発作の一度もないぜんそく)に罹患していたものであり、右の髄膜脳炎により死亡したものと推定する。

前記二の5、6、8、9認定の信一郎の状態に、脱力、意識レベルの低下を認めることは容易に首肯しうることであり、本件全証拠によっても、信一郎が意識レベルの低下をきたす他の疾患にかかっていたことを疑う理由は認められないし、その他の点においても、右鑑定人の鑑定結果につき、これを排斥するに足りる合理的な疑問は存在しないから、右鑑定結果は、信用できるものというべきである。

そうすると、信一郎は、ウィルス性髄膜脳炎によって死亡したものであると認めるのが相当である。

2  ところで、被告は、信一郎は、炎症に基づいたぜんそくの発作を起こして、分泌物による窒息性の突然死により死亡したものであって、頸部等の強直も認められず、一回の点滴注射により、翌日には、一般状態もよくなったのであるから、髄膜脳炎に罹患していたはずがない旨主張し、《証拠省略》の各記載及び証人上山滋太郎の供述中には、信一郎は、気管支周囲炎および気管支ぜんそくに罹患していたところ、これにより、肺の機能を失い、酸素の取り込みが非常に少なくなって、脳に影響が生じた結果、死亡したものであるとする部分がある。

しかしながら、《証拠省略》の記載及び証人の供述によっても、前掲鑑定の結果に対比すると、気管支の状況に、ぜん息発作による窒息死を推測させるに足るものがあったことは認めるに足りず、他方、被告が信一郎の頸部強直の有無を検査したことを認めるに足りる証拠はなく、前記認定事実によれば、六月二四日の時点でも、脱力および意識レベルの低下の改善がみられなかったばかりか、いっそう増悪していたと認められるから、信一郎の全身状態がよくなっていたとはとうていいうことができず、この時点で、髄膜脳炎が治癒または軽快していたとも認めることができないのであり、死因が髄膜脳炎にあることを否定する根拠は見出し得ない。したがって、被告の右主張は失当である。なお、前記鑑定の結果によれば、信一郎の脳には、浮腫が強く、脳膜には散在性にリンパ球浸潤が軽度に認められ、一部には、中等度のリンパ球浸潤も認められたところ、解剖にあたった監察医である前記証人上山滋太郎も、右リンパ球浸潤に力点を置いて評価し、かつ、ウィルス性疾患の流行があったとすれば、信一郎の死因として、脳膜炎に優先性を認めてもよいと判断していること、そして、信一郎死亡当時、無菌性髄膜炎や脳炎等の中枢性疾患の原因となりうるコクサツキーA16型ウィルスによる夏風邪の流行があったことが認められる。そうすると、《証拠省略》の記載および供述部分にもかかわらず、証人上山滋太郎も脳膜炎による死亡の可能性を結局は肯定するものであると認められるから、右各記載および供述部分は、前記死因を認める妨げとなるものではない。

四  (被告の診療上の過失の有無について)

以上のように、信一郎の死因が、ウィルス性髄膜脳炎であることを前提として、被告の診療上の過失の有無について判断する。

1  前記のとおり、信一郎は、ウィルス性髄膜脳炎に罹患していたものであるが、前記認定事実によれば、被告は、遅くとも六月二四日の第二回の診察時までには、原告からの問診や信一郎の全身状態の観察その他の診察により、同人が、数日前から夏風邪に罹患し、発熱・嘔吐・腹痛等の初発症状を経て、呼びかけても返事をせずに眠りつづけ、原告に背負われて来診するほど元気がないなど、脱力、傾眠・嗜眠傾向および意識レベルの低下を示す症状を呈するまでに至っていることを認識していたにもかかわらず、被告は、信一郎がウィルス性髄膜脳炎に罹患していることについて疑いを抱かなかったことが認められるが、右認定のような症状の経過、とりわけ、意識レベルの低下を示す症状まで現われていることにかんがみると、小児科開業医師である被告としては、当然、ウィルス性髄膜脳炎に罹患している可能性を疑うべきであったということができる。そして、この可能性を疑わないことについて、他に合理的な説明がなされていない本件の場合においては、被告が、右ウィルス性髄膜脳炎を疑わなかったことは、医師としての判断を誤ったものといわざるを得ない。

2  ところで、前記鑑定の結果によれば、一般に、ウィルス性髄膜脳炎は、それ程重症なものは少ないが、前記認定事実によって認められる信一郎の発症から死亡に至る急激な経過によれば、右髄膜脳炎は、重篤なものであったと推認される。

しかして、前記鑑定の結果によれば、ウィルス性髄膜脳炎は、ウィルスの感染によるものであって、このようなウィルス性の髄膜脳炎に対しては、原因療法はなく、脳圧亢進を下げ、脳浮腫を軽減するとか、脱水に対する治療、合併症の予防・治療など、主として対症療法的な治療しかないのが現状であり、したがって、本来の病気(髄膜脳炎)の重症度が予後を左右する最大の因子であることが認められる。

原告らは、被告が信一郎のウィルス性髄膜脳炎に対する治療を怠った過失により、信一郎は、死亡した旨主張する。

前記のとおり、被告がウィルス性髄膜脳炎を誤診したことにより、これに対する前記の対症療法のうち、脳圧亢進を下げること、脳浮腫を軽減すること、合併症の予防、治療等の措置をとらなかったことが明らかである。

しかしながら、信一郎の症状が前記のように、重篤であり、かつ、急速に進行したものであったこと、ウィルス性の疾患に対しては、原因療法はなく、予後を左右する最大の因子が病気の重症度であることによれば、右措置をとったとしても、病勢の進行をただちに阻止しえたとは考えられず、者措置をとらなかったことにより、信一郎が死亡したものであるとはいまだ認めることができないし、他に、右措置をとることにより、信一郎の死亡が回避できたことを認めるに足りる証拠はない。

したがって、被告には、右措置を怠ったことに過失はないといわなければならない。

3  次に、前掲鑑定の結果によれば、髄膜脳炎の診断のためには、一般には、頸部強直の有無を調べ、これを認めたときは、髄液採取をすべきであることが認められるから、特段の事情が認められない限り、被告もこれをすべきであったというべきところ、右特段の事情の存在を認めるに足りる証拠はない。

しかしながら、診断のための検査を怠ったことを過失というためには、当該検査によって正しい診断がえられたならば、これに基づいて有効な治療がなされうることが前提となるものであるところ、被告が信一郎を診察した時に髄膜脳炎の診断を下しえたとしても、その時点で病勢の進行を阻止しうる有効な治療措置があったとは認められないことは前記のところから明らかというべきであるから、被告が右の検査の措置をとったとすれば、信一郎の死亡が回避できたという事実は認めるに足りないし、仮に、信一郎を入院できる他の病院に送院したとしても、異なる結果となったとは認めがたく、転院により死亡を回避できたことを認めるに足りる証拠はない。

したがって、被告には、右の過失もないといわざるを得ない。

4  したがって、信一郎が、ウィルス性髄膜脳炎によって死亡したことについて、被告の診療上の過失があったとはいえず、信一郎の死亡について、被告には責任がないというべきである。

五  (結論)

よって、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求は、いずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 野田宏 裁判官 小林久起 裁判官後藤邦春は転官のため署名捺印することができない。裁判長裁判官 野田宏)

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